ンゴロンゴロ農園見学のご紹介
OUR HISTORY
AFRICAN STORIESへの想い
私たちは2012年ケニアナッツの創業者である佐藤芳之氏と出会い、ルワンダでマカダミア農園と加工事業を開始しました。2023年現在、ルワンダの自社農園(約200ha)からマカダミアナッツの収穫が本格化し、事業も軌道に乗ってきました。そして同年、タンザニアのンゴロンゴロ自然保護区に隣接する約1,760haの農園を引継ぎ、第2農園として新たな事業を開始しました。
私たちはアフリカでの農園を運営するうちに、事業を通じて、お客様を含め関わる全ての人々の、それぞれの物語(Stories)を紡ぎ、紹介していきたいと考えるようになりました。
- 農園運営、栽培・加工など様々なプロセスで、共に働いている従業員とその地域コミュニティ
- それらの商品を流通・販売して頂いている多くのビジネスパートナー様
- そして商品をご購入し、ご賞味頂く多くのお客様
地域も文化も生活も考え方も異なる環境にいる人々。
同じ一つの商品でも、その裏側には、画一化されないそれぞれの物語(Stories)があります。
そうした人々の生活や想いが、この一つの商品を介して繋がり、紡がれていきます。
この事業に関わる全ての方々の一つ一つの物語(Stories)を紡いで、多くの幸せ、ウェルビーイングを生みだしていきたいーー。
そうした想いから、私たちはこの事業に日々邁進しています。




ルワンダとタンザニア 両農園の歩み
Rwanda Nut(ルワンダ)~ルワンダにおけるマカダミア史上の先駆者
Rwanda Nutはルワンダにおいて独自で産業市場を開拓してきました。ルワンダでは、従来コーヒー・紅茶が主な輸出作物でした。そんな中、マカダミアナッツがそれに続く第三の輸出作物として注目され始め、2004年、ルワンダ農業省は、国内でのマカダミアナッツ栽培の支援を開始しました(世界銀行の支援を受けケニアからマカダミアの苗木を輸入し、国内の農家に配布)。
すでにケニアではマカダミアの栽培と輸出が成功しており(=前述の佐藤氏のケニアナッツカンパニーによるもの)、その成功モデルをルワンダにも導入、という目標でした。
マカダミアは、定植から実がなるまで時間が掛かります。品種にもよりますが、「ルワンダ」では実がなり始めるのは7年目になります。定植されたマカダミアが国内で徐々に実をつけ始める一方、ルワンダ国内には加工・輸出の体制を整えた企業が存在しませんでした。
そこで、2013年にRwanda Nut Companyを設立。マカダミアの持つ可能性を信じ、ゼロからインフラ整備を開始しました。自社苗木園を設立し、マカダミアの苗木の生産と供給を本格化。自社農園の拡張および農家との定植活動を継続的に実施し、産地形成の基盤を少しずつ築いていきました。
2018年には、まるで掘っ建て小屋のような簡易加工場から、現在の本格的な加工工場へ移転。そして食品安全管理における国際規格「HACCP」(※)を取得し、安心・安全な製品づくりの体制を確立しました。2018~2022年には、JICAとの協力のもと、コーヒーの品質向上を目指すパートナープロジェクトに参画。その一環として、ルワンダナッツでもコーヒーの定植を実施し、マカダミアだけではなく多様な農業支援を展開しています。
現在も、国際機関など様々なアクターとの協業を検討しながら、より高品質なマカダミアを生産するために地道ながら着実な活動を積み重ねています。
※HACCPとは
食品等事業者自らが食中毒菌汚染や異物混入等の危害要因(ハザード)を把握した上で、原材料の入荷から製品の出荷に至る全工程の中で、それらの危害要因を除去又は低減させるために特に重要な工程を管理し、製品の安全性を確保しようとする衛生管理の手法。国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)の合同機関である食品規格 (コーデックス) 委員会から発表され,各国にその採用を推奨している国際的に認められたもの
出典:厚生労働省ウェブサイトHACCP(ハサップ)|厚生労働省



TANJA(タンザニア)~ンゴロンゴロ地域のコーヒー史における承継者
続いて、タンザニアの農園にまつわる歴史についてご紹介します。1885年、ドイツは、現在のタンザニア連合共和国の大陸部(タンガニーカ)、ルワンダ及びブルンジの領域を「ドイツ領東アフリカ」として植民地化しました。タンザニアでの輸出向けのコーヒー生産は、このドイツ植民地時代に本格的に始まりました。
第1次世界大戦(1914~1918)時には、タンガニーカにおいても現在のケニアに駐留していた英国軍とドイツ軍の駐留軍との間で戦闘が行われました。最終的にはドイツ本国が破れ、パリ講和条約(1919)を経てタンガニーカは英国の委任統治領となりました。
1920年前後、ドイツ本国はハイパーインフレーションを伴う不景気であったことを受け、多くのドイツ系入植者がタンザニアに残りました。我々の農園があるオルデアニにおいても、この時期に60世帯ほどのドイツ系入植者がコーヒー農園の開拓を本格的に始めたといわれています(写真)。
当時のこの地域は、拠点の街アル―シャ(現在はアル―シャ州の州都)から車で丸一日かかる距離にあり、現地の人がほとんど住んでいない自然の森林が残る地域だったそうです。
開拓者たちは、手作業で水路を掘り、山間部の水源を引きコーヒーの木を植えていったのです。現在のオルディアニ村には、入植者が集まるコミュニティーホール、映画館、バーまであったようです(写真2, 3)。第2次世界大戦時(1939~1945)には、この地域のドイツ人の男性は収容所に送られましたが、女性と子供が農園を維持したといわれています。
第2次世界大戦後、アフリカ大陸において植民地支配からの独立の機運が高まり、1961年にタンガニーカは英国から独立しました(その後、ザンジバルと連合しタンザニア連合共和国となりました)。その後、様々な変遷を経て、このオルデアニを含むンゴロンゴロ地域には約20の大規模農園が存続しています。各農園は、新たな世代に引き継がれ、良質なコーヒーの一大産地として大いに注目される地域の一つとなっています。このような100年を超える深い歴史を持つこの地で、約1,760haという広大な農園を運営できることは、非常に稀有なことであり、名誉なことだと感じ入っています。100年以上も紡がれてきたこの地域への多くの人々の想いを我々が引継ぎ、そして我々もまたその次の時代への物語(Stories)を紡いでゆきます。
Vision/Mission/Value


私たちは、科学的な根拠や技術的な実績に基づいて、製品やサービスを提供します。
職人として自分達の仕事に誇りを持ち、大地に優しく、環境や社会に配慮しながら、
最高の品質を追求し、人々や組織に「信頼」/信用を寄せ、地域の発展に貢献します。
私たちは、製品やサービスの生産から消費までの全ての加工において、
ステークホルダーにポジティブな影響を与える笑顔のコミュニケーションや
つながりを感じることで、強い信頼や共感をもった「絆」/協力関係を築くことを重視しています。
私たちは、夢や目標を実現するために、困難や不安に立ち向かい、新しい試みに「挑戦」します。
ワクワクするような体験ができる価値を提供することで、
感動や学びの機会を創出し、社会や世界を成長させることを目指します。
地域コミュニティの創出に向けた Smart Village Project
私たちの農園では2023年現在、定期雇用者296名、季節労働者300名が働いています。今後さらなる拡大により計1,000名近い雇用が想定されています。これは近隣の村の大人の過半数近くを雇用することになり、地域と一体になったコミュニティ育成が極めて重要になります。
さらに、近年、地球保護の観点により温暖化ガス削減がより重要になっております。よって我々はカーボンニュートラルの実現を目指すプロジェクトによって、持続的なウェルビーイングを醸成し、コミュニティ育成していくことを「Smart Village Project」と呼び、推進していきます。

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